2013年11月10日 説教:齋藤 寛史 兄 説教題:ナアマン将軍を支えた人々 聖書箇所:列王記第二5章1〜19節 テープ起こし:飯牟礼 民雄 兄 今日は、皆様も良くご存じのナアマン将軍の話をさせていただきます。教会学校ではおなじみの話ですが、大人の礼拝ですから、少し詳しく見て参りたいと思います。先ほどは新共同訳で読んでいただきましたが、私は新改訳で話を進めて参ります。訳の違いを注意してみてください。5章1節「アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得されられたからである。この人は勇士で、ツァラアト(重い皮膚病)に冒されていた。」 紀元前850年頃の出来事です。当時、イスラエルは北イスラエル王国と南のユダ王国に分裂していました。北イスラエル王国の北にアラムがあります。アラムは当時のイスラエルのように、国家としてはまとまっておらず、小さな集落が林立しておりました。 北イスラエルのアハブ王はイザベルという悪い妃で有名な王様ですが、この王様が死ぬまで、北イスラエル王国によって抑圧されていました。そのイスラエルの抑圧をナアマン将軍が解放してくれたことになります。その戦いの詳細は前の方に記されていますが、アハブという王様は非常に悪い王様で、自分の土地の隣にあったナポテという人のぶどう畑を欲しくなり、策略をめぐらして、悪妻イザベルの悪知恵もあり、ナポテが王と神を呪ったと邪な者に証言させてナポテを石打ちの刑で殺してしまいます。そして、ぶどう畑を手に入れました。 このナポテに対するアハブの行為は主を大いに怒らせました。結局、アハブ王は南ユダの王様と組んで、アラムと戦ったのですが、その戦いによって殺されてしまいました。恐らく、その時、活躍したのがナアマン将軍であったと思います。ですから、5章1節「主がかつて彼によってアラムに勝利を得されられたからである。」という記事があるのだと思います。 5章2節「アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。」とあります。 先ほども申しましたが、紀元前850年位に、アラムは北イスラエルとユダの連合軍に勝利して、イスラエルの支配から脱しました。それまでは、イスラエルによって抑圧されていましたから、アラムの人たちは生きていくためには略奪をしなければなりませんでした。 ですから、「かつて」と記されているように、今は、略奪は行われていません。自分たちの産物は自分たちのために使うことができます。略奪する必要がありません。でも、アラムが略奪していた時、イスラエルの地から、一人の若い娘が捕えられて来て、ナアマンの妻が召使として使っていました。 5章3節「その女主人に言った。『もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。』」略奪され捕えられた娘がナアマンの病気の癒しに繋がる情報を与えたのです。 この娘がナアマン将軍の家でどのような取り扱いを受けていたか、この一文から想像することができると思います。恐らく、かなり恵まれた状況で働いていたのではないでしょうか。それと、略奪され、捕えられて来た娘です。その娘の情報をナアマンの奥さんとナアマン将軍は正しい情報であると判断したことになります。ということは、この少女に対して信頼を置いていたことが分かります。 これで思い出すのは創世記39章に記されているヨセフの話です。創世記39章1〜5節「ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と全財産を管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。」とあります。 この娘も略奪されてナアマンの家に仕えることになりましたが、恐らく、主の恵みがともにあって、ナアマン、ナアマンの奥さん、そして、その家の者の好意を得るようになったのではないかと思います。言わば、どこの馬の骨か分からない少女でしたが、ナアマン将軍は少女の証言を信じて、預言者の所に行って見ようという気持ちが起こされたのです。 いずれにしても、拝見した個所からも明らかのように、創造主を信じた人は、主に仕えるように、人にも仕えるということです。仕えた先で信頼を得ることが分かります。 新約聖書にも同じような教えがあります。エペソ人への手紙6章5〜9節「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれの報いを主から受けることをあなたがたは知っています。主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことをやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。」とあります。 このように、何処で働くにしても、主に仕えるように、キリストに従うように、仕事をすると雇用主も祝福を受けますし、自分自身も祝福を受けることができます。そのことによって、神様が崇められます。 列王記第二5章4節に戻ります。「それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました。と告げた。」恐らく、この時の主君はベン・ハダテ2世だと思われます。 5章5節「アラムの王は言った。『行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。』そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。」  銀十タラント、金六千シェケルと何気なく記されていますが、一タラントの銀の重さはおよそ34sです。十タラントの銀は約340sにもなります。莫大な量の銀でした。金一シェケルは11.4gでした。ですから、金六千シェケルは68.4sの金ということになります。今の相場で計算すると、銀が約2400万円、金が約2700万円です。莫大な贈物です。これをもって、ナアマンはイスラエルに向かったのです。直線距離で100q以上離れた所です。そこまで、400s以上の金銀をもって行ったのですから、とてもじゃないけど、少ない人数でモッコに担いで行くわけにはいきません。恐らく、何頭かの騾馬か馬に引かせた荷車に載せて運んだと思います。しかも、5000万円以上の値打ちのあるものですから、大勢の兵士に護衛をさせて、100q以上の道のりをイスラエルに向かったと思われます。 これだけの大金をはたいても、自分の重い皮膚病を治してもらいたいというナアマンの切実な思いが伝わって来ます。病気の癒しのために、今の貨幣価値で5000万円以上のものを出すことができるということで、ナアマンは経済的にも恵まれた将軍であったということが分かります。 5章6節「彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。『さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを直してくださいますように。』」 ナアマンの働きによって、イスラエルとアラムの力関係は、どちらかと言えば、アラムの方が優位にありました。アラムの王様がこのような親書をわざわざイスラエルの王宛にしたためてくださったのです。如何に、ナアマンが主君に重んじられ、尊敬されていたかということが分かります。 5章7節「イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。『私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私にいいがかりをつけようとしているのだ。』」この王はイスラエルの王、アハブの子、ヨラムであったと思われます。服を裂くというのは、日本人はしませんが、イスラエルやユダでは怒り等の激しい感情の表現として使われたようです。 5章8節「神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。『あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。』」預言者は神様の言葉を預かる人です。ですから、この世界を創造された真の神様からの言葉を聞いて、それを伝えることにより、本当の神様に仕える預言者がいるということを知るでしょうとエリシャは確信をもって言いました。 5章9節「こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。」直線距離で100q以上の距離をはるばる旅して来たナアマンとその一行はエリシャの家の入口に立ったのです。しかし、ここでエリシャは奇妙な行動に出ます。 5章10〜11節「エリシャは、彼に使いをやって、言った。『ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。』しかしナアマンは怒って去った。」 当然です。直線距離で100q以上の距離を、わざわざ重い金銀をもって、大勢の家来を連れて、しかも、途中には山あり、谷ありで、長旅をして、やっと着いたのに、肝心のエリシャは顔も見せてくれず、ただ、エリシャに仕える人をよこしただけです。玄関先にすら入れてくれないのです。誰でも怒るのではないでしょうか。ナアマン将軍と同じように怒って去って行くと思います。 5章11節「しかしナアマンは怒って去り、そして言った。『何ということだ。私はきっと彼が出てきて、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。』」 ナアマンの期待は見事に打ち砕かれました。恐らく、ナアマンは、今までにもリモン神殿の神官やアラムの町にあるさまざまな偶像に仕える神官たちにも癒しを求めたのではないでしょうか。神官たちはそれぞれが仕えている偶像の神の名を呼んで、患部の上で手を動かしたのではないでしょうか。 それとナアマンの発言に注目してください。「彼の神、主の名を呼んで」とあります。この時点では、ナアマンの神ではありません。ナアマンにとってはエリシャの神、イスラエルの神です。 5章12節「『ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないだろうか。』こうして、彼は怒って帰途についた。」当然です。アマナという川は、現在では、バラダ川と呼ばれていて、実在しています。「バラダ」は「寒い」「冷たい」を意味する言葉だそうです。山中の湖等から冷たい、清らかな水が流れています。これがダマスコ一帯に広がっているオアシスに水を供給しています。古代から、この川のお蔭で、大都市ダマスコが存立できました。 一方、ヨルダン川は、私は写真でしか見たことはありませんが、中国の黄河のように濁っています。だから、ナアマン将軍にすれば、自分の故郷のダマスコには、こんな濁ったヨルダン川と違って、綺麗な大きな川があるのに、何でこんな汚い川で洗わなくてはいけないのかと思ったことでしょう。 しかし、5章13節「そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。『わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」 ナアマン将軍は、奥様に仕えていた、イスラエルから略奪されて来た娘に慕われていただけでなくて、部下たちからも慕われていたようです。この時、ナアマンは怒り心頭にありました。頭から湯気が出ている状態でした。そのような状態にいる人に諫言することは非常に勇気のいることです。まして、相手は大将軍です。権威もありましたし、力も持っていました。しかし、ナアマンの部下たちはリスクを冒してナアマン将軍に意見しました。 5章13節「『わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」本当にそうだと思います。難しいことを命じられたら一生懸命にそれをしようとします。ナアマン将軍も、例えば、冷たい滝つぼで流れ落ちる水に打たれながら祈り続けなさいとか、100qの山道を駆け上って越えて来なさいとか、神道で言うなら勤行を命じられたとしたらやったと思います。 しかし、ナアマンに対しては「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。」と言っただけでした。しかし、ナアマンは部下のアドバイスに素直に従いました。ナアマンの偉いところです。 5章14節「そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」 部下のアドバイスに素直に従ったナアマンはその報いを受けました。彼のツァラアトは全く癒されて、醜かった皮膚は幼子の皮膚のようになったのです。 ここで思い出すのは伝道者の書4章13節です。「貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。」歳を取ると、若い人の言うことには耳を傾けなくなっていきます。私も52歳ですから、箴言の著者の気持ちが分かります。若い人の意見に素直に従うというのは、歳をとって来ると難しいことだと思います。それだけに、ナアマンは立派だと思います。部下たちのアドバイスに耳を傾けて、素直に、ヨルダン川に七たび身を浸しました。 状況を想像してください。恐らく、ナアマンが連れてきた大勢の家来たちが見守る中で、ナアマンはヨルダン川に七回出たり入ったりしたのだろうと思います。裸であったか、服を着ていたか、下着姿であったかは分かりませんが、七回も濁ったヨルダン川に身を沈めては上がったのです。六回目までは何も起こりませんでした。何の変化もありませんでした。ところが、七回目に身を浸した時、彼の皮膚病は完全に癒されていました。 若い人の見ている前で、歳をとり、重い皮膚病に冒されたナアマン将軍がこのことを実行したということは立派なことであったと思います。私なら、恐らく、部下の言うことに耳を貸さず、怒って、アラムに帰ったと思います。そして、癒されなかったと思います。 いずれにしても、聖書の教える救いは、非常に単純です。聖書の主張ははっきりしています。救いについて新約聖書を見て参りたいと思います。 ヨハネの福音書3章16〜17節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることがなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」単純です。 使徒の働き4章12節「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」イエス様の名前だけが人を救うことができます。 パウロとシラスが牢獄に入った時に大地震が起こりました。牢の扉が全部開いているのを見た看守たちは囚人たちが逃げ出したと思い、自害しようとしました。しかし、パウロとシラスは讃美していました。看守たちはパウロとシラスに尋ねました。 使徒の働き16章30〜31節「ふたりを外に連れ出して、『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。』と言った。ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます、』と言った。」 ローマ人への手紙10章9〜13節「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」 聖書は救いを極めて単純に説明しています。イエス様がこの私の罪のために十字架に架かってくださって、私の罪の罰を私に代って受けてくださいました。私の罪はイエス様によって赦されました。イエス様が贖ってくださいました。そのことを信じるだけで救われると聖書は主張しているのです。 列王記第二に戻ります。5章15節「そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き換えし、彼の前に来て、立って言った。『私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈物を受け取ってください。」これがナアマンの神理解の全てです。「イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。」ナアマンは正しい教理的理解をしたのではありません。この世界をお造りになった神様ですから、イスラエルという国に限定された神ではありません。私たちが信じている神様は世界中至る所に存在する神様です。ところが、ナアマンにとっては、この時点では、ダマスコのリモンの神とか、色々な神がいるけれど、それらは偽物の神様であり、イスラエルの神様だけが本当の神様ということだけの理解をしたのです。ナアマン将軍が理解した教理はこれだけです。これだけの理解で、ナアマンは17〜18節に記されていることに気付いて行くのです。 5章16節「神の人は言った。『私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。』それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに勧めたが、彼が断わった。」これは後に、ゲハジの話に繋がっていきますが、今回はそのことには触れません。 5章17節「そこでナアマンは言った。『だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。』」甲子園で敗れた高校球児が甲子園の土を持って帰るように、ナアマンもイスラエルの土を騾馬に載せられるだけ載せて自国に持ち帰ろうとしました。それはイスラエルの神、主を礼拝するためです。だから、ここからも、ナアマンは正しい教理理解をしていたのではなかったことが分かります。イスラエルの土をもって帰り、それで祭壇を造らないと礼拝できないという間違った理解をしていましたが、しかし、そのことに関して、エリシャはとがめだてをしていません。 更に、ナアマンは言いました。5章18節「主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。」 リモンとは嵐と雷の偶像の神様でした。別名をハダデと言います。ベン・ハダデはその神から来た名前です。「ベン」は「何々の息子」という意味があります。ですから、「ベン・ハダデ」は「ハダデの息子」という意味になります。 日本でも、天皇陛下は神道と密接な関係がありますが、アラムにおいても、王様はリモン神殿の宗教と密接な関係がありました。主君がリモン神殿に入って、リモンの神を拝む時に、ナアマン将軍も公務として、アラムの王、ベン・ハダテ2世と一緒に偶像の前に身をかがまなければなりません。公務とは言え、これは創造主である本当の神様に対する罪ではないかという恐れが生じたのです。ナアマン将軍が理解していたのは、イスラエルの他には何処にも神はいないという理解だけでした。しかし、その理解から出発して、リモン神殿で公務とは言え、神様でないものを拝むという行為は偶像礼拝に当たるのではないか、真の神様の御心を損なうことになるのではないかということに気付いたのです。ですから、ナアマン将軍はそのことをエリシャに尋ねました。それに対して、5章19節「エリシャは彼に言った。『安心して行きなさい。』そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った。」 ナアマン将軍は真の神様を信じ、そして、癒されました。癒された時に、自分が公務として行っている偶像礼拝が神様の御心に適うかどうかという心配が起こりました。そこで、即座に神の預言者であるエリシャに質問しました。 私たちもクリスチャンとしてこの世を生きていく時に、様々な問題にぶつかります。仕事のこと、人間関係のこと、様々な問題にぶつかります。その時に、ナアマン将軍がエリシャに尋ねたように、私たちも、私たちに与えられている神様の言葉である聖書に聞くという姿勢が大事です。自分の頭で考えて、私が行っていることは心が伴っていないから構わないのではないかというような自分勝手な判断で、リモン神殿で身をかがめたのではありません。きっちりとエリシャに聞いて、神様の許可を求めています。私たちも私たちが遭遇する様々なことに、どのようにしたら良いか分からない時、自分の限られた知識だけで結論を出すのではなくて、聖書に聞くことが大事であるということが、この事からも理解できると思います。 この後、ナアマン将軍がどうなったかは聖書には記されていません。しかし、創造主である真の神様に立ち返り、真の神様に捉えられたナアマン将軍は少しずつ知識を増し加えて、真の神様に贖われた者に相応しい存在に変えられて行ったのではないでしょうか。ナアマン将軍が自分の家に戻った時に、彼の信仰の道標となったのは、恐らく、イスラエルから略奪されてきた娘ではないかと思います。恐らく、この娘はヨセフのように神様に対する正しい教理的理解を持っていたと思います。ですから、この娘がナアマン将軍にとっては信仰の導き手、指導者的立場になったのではないかと思います。ナアマン将軍は財力がありましたから、イスラエルから真の神様に関する様々な書物、情報を得ることもできたと思います。それから知識を吸収して、ナアマン将軍は「イスラエルの神以外、何処にも神はいない。」という所から出発して、少しずつ神様の正しい認識を得ていったのではないかと思います。 その後、旧約聖書にはナアマン将軍は出てきませんが、新約聖書ルカの福音書4章27節「また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」イエス様にこのように紹介されています。